【2001年5月1日の言葉】  “黒のノスタルジィに溶け込んで”


 本来の私のホームでは、大体いつも下のようなスタイルでテキストを載せています。



4月27日

 掲示板のほうでメッコールという飲物の名前がちらっと出ましたが、

これは 『変なドリンク』 の代名詞とも言うべきシロモノで、味はコーラを麦茶で割ったような感じ、けっこうよくネタにはされるので名前を聞いたことがある人は多いでしょう。



 さて、ここで話は私の中学生時代にさかのぼります・・・     (「・・・」使用)


 当時、私が住んでいたマンションにこのメッコールの販売会社の方がいたらしく、町内会の夏祭りの景品として、このメッコールを提供したのです。

 いつぞやのマスミさんみたいに、ご近所に対して悪意を抱いていたのかどうかは定かではありませんが、

ええ、私はみごとにクジで引き当てましたよ、メッコール1箱を。 ・・・罰ゲーム?



 十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩くキリストのような気分でメッコールを持ち帰った私に対して家族の目は実に冷ややかで、けっきょく私は一夏をかけて段ボールいっぱいのメッコールを一人で処理しました。

 何と言うか、軽いネタでメッコールの名前を出す方々とは言葉の重みが違うと言っていいでしょう。



 掲示板でぱんちょさんが 「合同結婚式をあげるくらいの度胸がないと一気飲みできない飲み物」 と言っておられましたが、

シンクロニシティというやつか、ぱんちょさんの超人的第六感か、それとも知っておられたのか、

 実はメッコールって原産は韓国、ってかズバリ統一教会がバックについてるんですけどね。



 これ以上ツッコむと何が起こるかわからないので、強引にそれはさておきますが、前述の販売会社の方、

今にして思えば不良在庫とか現物支給とかいう悲しげな四字熟語が頭をよぎるのは気のせいでしょうか。



 しかしそんな事情など知るよしもない当時の私。

 そして、いつしか箱の中のメッコールは底をつき、一抹の寂しさとともに私の中1の夏は終りを告げました。

 今も瞳を閉じればよみがえる、メッコールとともに過ごしたあの夏の Memories・・・。



We Love McCOL!





 こういうスタイルでゲーム系サイトをやっていると必ず言われるのが 「黒バックに白文字でフォントいじり? それは○○の模倣だ、パクリだ」 とかいうものでして。
 ゲーム系サイトで黒バックだったらパクリですか。
 まるでフランス人に向かって 「フランスパン好きですよね?」 と尋ねるがごとき、脳のトラフィックが直行エクスプレスな短絡思考! そこにシビレる憧れるゥ!

 と言うのも私がこのスタイルでサイトを開設した時点では、あの超大手ゲームテキスト系として語り継がれる “A_Prompt”“FUNNY GAMER'S HEAVEN” も全く見たことがなかったんですよね。 ホントに。
 何しろ完全に一から独学で始めたもので、最初の2ヶ月ぐらいは 『お気に入り』 『ブックマーク』 という機能の使い方を知らなかったぐらいです。

 さて、それではそんな私がなぜ黒バックに白字というスタイルを選択したのでしょうか? ゲームオタクは、見たこともないサイトをパクるという念能力を有しているのでしょうか?

 自分の初心を思い起こそうと考え、とりあえず私はパソコンを起動させてみました。


 黒でした。


 パソコンの起動画面は黒色でした。


 そう、考えてみれば BASIC や DOS の時代、コンピュータといえば黒バックに白文字だったわけで。 言わばそれは、日頃コンピュータと深く付き合っている人間にとってはごく当たり前の原風景なのです。

 そして、そこから発展したワープロやTVゲームもまた標準スタイルとして黒バックを継承したわけですね。 特にファミコンあたりの解像度では白ベタ背景など使おうものなら目が痛くてたまりませんし、その上に黒字を乗せても背景がにじんで読めたものじゃありません。

 企業のホームページなどでは、印象を意識して明るい背景色を使うことが多いですが、コンピュータ文化の基本スタイルを刷り込まれてきたゲームオタクたちが黒バックを好むのは不思議なことでも何でもなく、まして単なるパクリなどではないということです。

 縦書き四六版サイズのハードカバーで本を出版したからと言って、誰がそれをスタイルの模倣だと言いますか。
 そりゃあ、トイレットペーパーに手書き筆写で本を出版(?)したらさぞかし画期的でしょう。 画期的なだけで、そんなシロモノはトイレットペーパー本来の使用法をされて流されていくだけでしょうけど (下水道に)。




 もう一つ、フォントの拡大や色付けについて。
 私に限って言えば、これは 『平成ノ歩キ方』 『トンデモ本シリーズ』 といったいわゆるサブカルチャー系活字メディアの影響で、あと、せっかくパソコンは色が使えるんだから色を付けようと思ったまでです。

 カラー! それは貧乏ライターにとっては永遠の憧れ。
 嗚呼、自分の原稿に自分で色指定ができるなんて! 夢みたい!

 ‥‥少しトリップしてしまいましたね。
 ですが、活字媒体に関わる者で、そういったHTMLの手軽な自由闊達さに魅力を感じない人間がもしいるとしたら、ちょっと信じられないハナシです。


 もっともこのHTML仕様というものも、追求すれば追及するほど何も出来なくなっていくという困った一面があるのですが、それについては次の機会に。




 ところで話は変わりますが、最近よく聞く 侍魂って何ですか?

 何かどこかのサイトらしいということだけは知ってますけども。







 ‥‥あっ、そうそう、このページのスタイルですが。

 これはある日突然、見も知らぬサイトのソースが頭に流れ込んできたので、それをそのまま流用したものです。
 ゲームオタクの超能力は実在したのです!
 世の中には不思議なこともあるものですね。





【2001年5月10日の言葉】  “声音に叫びや囁きがあるように”


 さて今週は、 このページの主題とも言うべき “フォントいじり” を巡る現状についてもう少し突っ込んで語ってみましょう。


 私が調査したところによると、 事の起こりは数ヶ月前、 侍魂というサイトが中国製ロボット 『先行者』 のネタで大ブレイクし、 従来のフォントいじり系テキストサイトからは考えられないアクセス数を稼いでしまったことに端を発します。

 この侍魂、 確かに面白いことは間違いないのですが、 テキストサイトとしては誰もが認めるNo.1というわけでも大御所的存在というわけでもなかったことと、 さらにその侍魂の影響を受けた劣化コピー的サイトが乱立したことから、 一部からやっかみ半分の反発を受けて 「フォントいじり=ダサイ」 という声が世に流れることとなった、 というわけです。
 詳しくはこの検索結果などを見てもらえれば、 現場を包む雰囲気と、 あとどうやら一部の人が波風を立てているらしいことがわかります。

(余談ですが、 小説・ゲーム・漫画などにおいても、 実は第一線クラスの作者の力量の差というのはそれほど大きいものではなく、 そこを一歩突き抜けて大ヒット作品となるかどうかは、 作品の質そのものよりも何らかの偶発的なキッカケにゆだねられる場合がほとんど。 一度大ヒットすると多くのリピーターが定着するのも、 サイトの場合と同じです)


 ところがここで新たな問題が。

 もともと個人サイトというものは、 そのへんのガキやオッサンが自分の好き勝手なことをノートに書き殴ってそこらの電柱に貼り出すのと、 本質的にはどこも違わないのですが、 これがまぁディスプレイを通して表示されるとなんかもっともらしく見えるのが困りもので。
 しかもそれがある程度アクセス数のあるサイトだったりすると、 ついついそれがネットの常識であるかのように刷り込まれてしまうんですな、 初心者ってやつは。

 何を思おうが個人の勝手だけども、 それを外に向かって垂れ流している以上は、 そりゃ違うだろうと反対の意思をアピールする権利はこっちにだってあるぜ、 というのがこの Web-Ring の根底にある趣旨なのであります。


 そもそも “フォントいじり” とは、 HTML文書 (大雑把に言うと、 インターネットサイトのページ内容が書かれたファイル。 このページも他のサイトもたいていはこのHTML形式で書かれている) において、 <FONT SIZE="+1">こうやって文字を大きくしたり</FONT>、 <FONT COLOR="#0000A0">文字に色を付けたり</FONT>、 <B>太字にしてみたり</B>するテクニックのことです。
 なぜ私たちがコレにこだわるのかと言えば、 たとえば上の段落をフォントいじりを使わずに説明してみようとしてください。

「だからこう、 表示される文字のサイズが他のところより一回り大きくなったり、 その部分にだけ赤とか青とか色を付けられたり‥‥」

 おわかりですね。 非常に面倒でわかりにくくなります。
 フォントいじりを使用することによって、 素の文字列の上に強調や感情の表現、 あるいはそこが引用やセリフの部分であるといったさまざまな情報を乗せることができ、 表現にふくらみが増すことは、 たくさんの人の意見が証明しています。


「フォントいじりを使うようになってから、 うちのコたちは他のキャットフードには見向きもしないんですよ」

「フォントいじりを始めてからみるみる身長が伸び始め、 成績も学年トップに!」

「もしあの時、 フォントをいじってなかったらと思うと‥‥いま考えてもゾッとしますね」

「オレ、 友達として何度も止めようとしたんすけど、 あいつもうフォントいじりなしじゃいられない身体になっちまってて‥‥」



 ‥‥えー、 最後のは間違いなので忘れて下さい。 他のは本当です。
 ついでにもう一つ例文を出しましょう。


 わたしのピアノについてわたしのバンド仲間はマッコイ・タイナー名ジャズピアノの一人みたいだといっている手を二本使って弾くところがという付け足しがなかったらもっとうれしいところだ大学の同僚からは大学教師にしておくのはもったいない大学を辞めてプロのミュージシャンになったらどうかプロになれなくても大学を辞めたらどうかといわれている


 もちろん、 正しい原文はこの通りです。


 わたしのピアノについて、 わたしのバンド仲間は、
「マッコイ・タイナー (名ジャズピアノの一人) みたいだ」
といっている (「手を二本使って弾くところが」 という付け足しがなかったらもっとうれしいところだ)。
 大学の同僚からは、
「大学教師にしておくのはもったいない。 大学を辞めてプロのミュージシャンになったらどうか。 プロになれなくても、 大学を辞めたらどうか」
といわれている。

<土屋賢二 『人間は笑う葦である』 より>




 遠い昔、 記号表現として句読点や 「」 () の使用が広まりつつあったときにも (当然、 広まった理由は 「便利だしわかりやすいから」 )、 きっと 「カギカッコ使用なんてダサイ! パクリかっこ悪い!」 と騒ぎ立てた人がいると思いますが、 死にました。
 脅しじゃありません。 これは歴史的事実です。 怖いですね。


 ただし、 そうは言っても、 何でもやみくもに使えばいいというものじゃありません。
 唐辛子や胡椒はとても効果的な調味料ですが、 要は何事もサジ加減が大切ってことです。

 それではこれで、 キューピー3分間クッキングを終わります。 また来週!




【2001年5月16日の言葉】  “てめえらの血は、 何色だァァァ”


 いや、 別に血じゃなくっても、 トマトやリンゴでもいいんですが。


  「赤」


 そうですね。
 でも、 こんなことを考えたことはありませんか?
 血やトマトやリンゴの色は、 本当に他の人にも “赤く” 見えているのか。 そう見えているのは自分だけじゃないのか‥‥と。


「そんなもの、 本や写真や絵を見れば確かめられるだろ。 誰が見たってリンゴは赤色なんだ」


 なるほど、 でももしかして、 あなたが感じている “赤” という色彩そのものが、 他人とはまったく違うものだったとしたら?

 他人と視覚を共有することでも出来ない限り、 自分が他人と同じ赤色を見ているかどうかは、 永遠にわからないのです。
 これ以上突き詰めようとすると、 光学や医学や、 哲学における認識の問題とかになってしまうのでやめますが、 今週の話題はこれ。



『自分のサイトは、 他人が見ても同じように見えているとは限らない』


 今までも何度かHTMLという言葉が出てきましたが、 フォントいじりなどのWeb表現を語るには、 やはり一度基本から整理してみる必要がありそうです。 うわ、 なんか今週は偉そうだなぁ。 毎回いつもバカそうなのもどうかと思うけど。


 ここを見ておられる方はたぶん、 自分でサイトを運営しているという人が多いでしょう。
 結論から先に言うと、 たとえばパソコンが Windows か Mac か、 ブラウザが Internet Explorer(IE) か Netscape Navigator(NN) かという違いだけで、 見慣れているはずの自分のサイトがかなり違った印象になってしまいます。 自分の声をテープに録音して聞いたときの感覚に近いとでも言いましょうか。
 他にも、 標準文字サイズが違ったり、 ノートパソコンや携帯端末などで画面の解像度そのものが違ったり、 あるいはただウィンドウサイズを変更するだけでも、 レイアウトが大きく変わってしまう恐れがあります。 最近では少数ながらドリームキャストでテレビに表示して見ている方もいますし、 あとiモードやJスカイとかいう例もありますね。



IE
(IE)

NN
(NN)



 これは私のサイトの例でして、 このページはごく基本的なタグしか使っていないのですが、 それでもやはり印象が異なることがわかるでしょう。 フレームや表組みを使ってページのレイアウトをしていると、 もっと大変なことになりかねません。

 さらには、 特定のブラウザにしか対応していない表示方法なども存在しますし、



同じブラウザでもバージョンが古いとフレームを表示できなかったりします。 また、 画像や一部の表組み、 フォント拡大などを無視して、 文字部分だけを表示するテキストブラウザなんてものも存在します。
先程のページをテキストブラウザで表示した例 ‥‥http://www.nurs.or.jp/~asada/Lynx-View.html 参照)


 なぜこのような、 見え方の違いが起きるのか。 実は、 その点こそがHTMLというものの長所であり短所であるところなのです。
 HTMLは、 使用するパソコンの機種やソフトに関わらず、 誰のどんな環境でも同じようなモノを表示してくれる “標準語” であり、 方言などを含んだ地元人の微妙なニュアンスまで全国どこへでも伝えてくれるわけではないのです。


 ですから、 サイト運営者は、 常にあらゆるブラウザを意識したページ作りを心がけなければなりません‥‥と、 HTML解説書とかならそう締めくくるところですが。

 私自身は、 主に人目に触れるテキストの部分などはなるべく単純な構成のページにするようにしていますが、 本当に厳密に全てのブラウザに対応させようと思ったら、 凝ったレイアウトなど作れなくなってしまいます。 だいたい、 古いバージョンのブラウザとか無数にあるマイナーソフトとかまで完全に網羅してチェックできるものじゃありません。



(テキストブラウザに関しては、 音声読み上げ機能や点字表示機能を併用することにより、 視覚障害者の方にもページ内容を理解してもらえる、 という意見もあります。 そういった配慮は大切だと思いますし、 私も上に書いたように、 なるべく努力しているつもりです‥‥そういった方が果たして読んでくれるのかどうかは別として。
 しかし、 たまに見かけますが、 どう見ても視覚障害者の方のことを考えたページ内容だとは思えないのに、 ただ自分はこんなマニアックなブラウザを使っているんだゼ〜ということをアピールしたいがためだけにいちいち障害者を引き合いに出すような文章には反感をおぼえます)




 実際のところ、 私のサイトで言えば訪問者のうち IE4.0以上とNN4.0以上が 98% を占めてまして、 このへんのブラウザなら、 大抵のことをやってもそれなりに表示してくれます。 あと1%がドリームキャスト、 それ以外は全部合わせても1%というところです。
 まあ最低限、 文章がちゃんと読めるぐらいの対応はしたいんですけども、 労力的に1%以下の訪問者に対する “見栄え” にまでなかなか気を配っていられない、 というのも事実だと思うのです。

「うちは一見さんはお断りどすえ」 「お客様、 申し訳ございませんが当店ではノーネクタイの方はちょっと‥‥」 とかいうのは、 なにをスカしてやがんだと思いますが、 「パンツ1丁で店に来るな」 ぐらいのルールは強要しても別にいいんじゃないかな、 と。
 もちろん 「パンツしかはいてないけど入れてくれ」 と言われるのは大変ありがたいことです。 でも、 それで冷房が寒いとか文句を言うんなら まず服を着ろ、 服を。



「いや、 仕事上 UNIX 系のマシンを使ってるから、 IEとかはちょっと‥‥」


 って、 何を言ってるんですかあなたは。 仕事時間中は仕事してください。



 このように、 サイト運営者に常につきまとう、 インターネット環境と見栄えの問題。
 最終的に、 どんなブラウザを使っても同じように見えるようにしてくれさえすればいいのですが、 そのへんの今後の展望はどうなのでしょうか?
 ここで出てくるのが、 最近の W3C 勧告と 『スタイルシート』 の話なのですが、 それについてはまた次回に。




    【2001年5月24日の言葉】  “束縛と奉仕と隷属と”


 前回のを載せてから、 なんだか急に少数派ブラウザからのアクセスがお増えになりやがりました。 嫌がらせか。

 ええ、 わかってます。 わかってますってば。

 本職のWebデザイナーさんやプログラム畑の人から見れば私など、 浅薄な知識で好き勝手なことを言っているだけに見えるでしょうし、 実際にHTMLの書き方も問題だらけだとか、 素人が聞いたような口を叩くなとか、 て言うかこんな文章誰も読んでないんだよとか、 根が暗いんだよこのゲームオタクがとか、 お前なんか社会のゴミだダニだクズだとか、 いろいろな感想を持たれることだろうと思います。 ‥‥チクショウ、 死んでやる。

 被害妄想のあまり手首を切ってしまったところで本題に入りますが、 今回はそのHTMLの厳密性について少し意見を。
 ここで私はあえて、 浅い知識しか持たない素人のサイト運営者という立場のままで発言を続けます。 なぜなら、 この私のような人間が、 今のネット文化を支えている主流層だからです。

 自分で個人サイトを作ったり、 あるいは他人のサイトを見て回ったりするのは楽しいものです。 もしそれがなかったら、 いかにインターネットが便利なものとは言え、 これほどの数の人間が毎月毎月高い通信料を払い続けようとするでしょうか?
 一般層が離れてしまっては、 誰よりも困るのはネット関連企業でしょう。



 で、 そんな素人たちが完璧なHTMLの技術と知識を常に有していられるわけがなく。



『<B></B> は物理的フォントタグです。 論理的タグを使うようにしましょう』



 すみません、 それ以前に、 あなたの言っている日本語の意味がわかりません。

 他にも私は <BLOCKQUOTE></BLOCKQUOTE> というタグを多用するクセがありまして、 これを使うとこのページのように左右にスペースを持たせることができて長い文章が非常に読みやすくなるのですが、 このタグは本来 “物理的” に左右の幅をあけるためのタグではなく、 「ここは引用部分である」 という意味表現のタグなのです。 (←実は少しは理解している)
 そのため、 このような使い方をしているとHTML仕様原理主義者の方々からは、 「この部分はすべて他からの引用なんですね?」 と揚げ足を取られたりするわけですが、 だったら主要ブラウザ全てで、 スマートかつ綺麗に行頭をインデントする方法さえ教えてくれれば即座にやめますよ?


 前回と少し矛盾するようですが、 要するに私のような素人サイト運営者にとっては、 原理主義で行くか見栄え重視で行くかという己のポジションすら重要でなく、 ただ単に、 そんなことを気にもとめない9割以上の閲覧者 にどれだけ快適に見てもらうかということが何より大切なわけです。



「そういうときのために、 スタイルシートがあるんじゃないか」 (参照:とほほのWWW入門


 はい、 出ました。 先週予告したスタイルシートのお話です。



 そもそもHTML仕様というのは、 W3Cという研究者の集まりによって作成され提唱されているわけですが、 近年の勧告では、 我々フォントいじり系テキスト推進派にはなじみが深い <FONT> タグなどを廃止する方向性を示しています。
 そしてそのかわりに、 そういった文字の見栄えといった部分を “スタイルシート” と呼ばれるもので管理しようというわけです。
 実際、 スタイルシートを採用したほうが細かいレイアウトを設定することができ、 便利で、 将来的な発展性もあるかもしれません。 完全に浸透すればね。

 ところが、 先ほど参照したリンク先にもある通り、 このスタイルシートの概念が勧告されてから数年が経つにも関わらず、 実際の使用にあたってはまだまだ汎用性が低すぎます。 これでは私のような素人にとっては、 新たにスタイルシート仕様を学習して使いこなそうという気には到底なれません。

 そんなことよりもまず各ブラウザの表示機能の統一姿勢を徹底させるほうが先決だろうに、 こんな理系丸出しの仕様書だけで事を進めようとしたって、 一般のネット利用者を置き去りにした机上の空論でしかないと言えば言い過ぎでしょうが、 ここはあえて言い過ぎておきます。 でないと耳を傾けちゃくれないでしょう。


よりよいマークアップ: ポピュラーな small-caps スタイルを実現するために "FONT" エレメントを使う代わりに,スタイルシートに1つ宣言をおけば充分である。

<H1>H<FONT SIZE=-1>EADLINE</FONT></H1>

という視覚的マークアップと,このスタイルシートとを比べてみること。

H1 { font-style: small-caps }

<H1>Headline</H1>



 まず “H1” というスタイルが具体的にどのような文字修飾を表すのかを定義し、 該当する場所を <H1></H1> で囲む。 確かにスクリプト言語に慣れた人には論理的には筋が通っていてわかりやすいでしょうが、 果たしてこれからホームページでも立ち上げてみようかという素人がこれを見て直感的に理解できるものか、 不安です。

 もう何だかW3Cとはインターネットを衰退させようとする悪の秘密組織か何かなのでは、 とすら思えてきます (妄想)。

 暴論を承知で言えば、 ブラウザなんて、 例えば <FONT 4 RED>こんな書き方でも</FONT> ちゃんと解釈して表示できるぐらいでいいのでは。
 自動車などでもそうですが、 人間が行う入力には微妙な誤差や、 個人のクセや、 不充分さや曖昧さがつきものです。 ABCという命令を受けてABCを返すだけなら安い電卓だってできるわけで、 さまざまな誤差やクセを吸収して常に安定した結果を返すのが本当の技術というものじゃないでしょうか。

  「山田君、 1枚持っていきなさい」 と言われて、 こん平の財布から1万円札を1枚抜きとって持っていくようでは、 それは山田君ではありません。 泥棒です。


 人が技術に仕えるのではなく、 技術が人に仕えるのです。




「さあ、 早くフォントを拡大するんだ」


「で、 でも御主人さま、 それにはスタイルシートを使わないと‥‥」


「ええい、 うるさい! お前は私の言うことを黙って聞いていればいいんだ!」


「ああっ、 ごめんなさい、 許してください、 円楽師匠!」





 ‥‥こんな感じで。



 さて、 無責任なことを好き勝手に書き逃げたところで、 次回はまたもうちょっと柔らかい話題に戻しましょう。 それでは来週まで、 さようなら〜。 (左手首から鮮血を吹き出させながら)





 【2001年6月8日の言葉】  “春はあけぼの、 心に浮かぶよしなし事を”


 えー、 今回から話題を変えると言いましたけども、 補足したいことがあるので、 もう少し。
 あまり興味がない方は読み飛ばしてくれて結構です。 そんなこと言い出したらこのサイト全体を読み飛ばしたところで人生において何の不都合もないとは思いますが。

 前回、 まるで私が批判を受けたかのような書き方をしたわけですが、 実を言うとアレは 「きっとこう思う人がいるだろうなぁ」 とすべて想像でデッチ上げたものであり、 特定の誰かを指していたわけではありません。
 ところが先日ちょっと検索してみたところ、 ほぼ同じような内容のことが書かれたページがありまして。


「<font color=#ff0000>【重要な注意】</font>私のページ内の記述に異議があるかたは、 泣き寝入りしてください。 と言う部分は、 strongやemで強調すべきと言っても無駄なお話し。 」

 なんと言うか、 一人相撲を取ってたつもりが実はそこが土俵の上で、 知らず知らずのうちに相手力士に張り手をかましていたかのような複雑な心境。

(そもそもトップページのHTMLに関する文句は、 最初にそのソースを書いた人に言ってもらいたんですけど。
 今度からわかりやすく <BLOCKQUOTE> タグでマークアップしておきますね。 引用ですし


 まあ本当は私も、 技術屋さんがそういう意見を持つだろうということはよくわかるんですが、 かつてビデオの規格戦争において、 VHSより優れた点も多々あったはずのベータがアダルトビデオ業界がVHSを選んだせいで敗北したという例もある通り、 最終的に情勢を決するのは、 技術と関係のないところで動くような大衆なんでね。

 大衆性と言えば、 以前にこんなサイトを見かけた記憶が。
 そこはいわゆるHTML原理主義オタク系のサイトでして、 W3Cの仕様を厳守していることを高らかに宣言し、 例によってテキストブラウザがどうとか視覚障害者がどうとか言ってたんですが、 そのコンテンツの中に書かれていたのが、 例えばこんなの。

「鍵の某ソフトに出てくる青い髪の女の子が萌え〜」

 ‥‥って、 W3Cがどうこう言うなら それ以前に適応したほうがいい世間の基準 というものがあるような気が致します。
 もうちょっと世の中一般に対する精神的アクセシビリティも高めたほうがいいのでは。 だいたい、 エロゲーのブランド名を隠語で語ったり、 『青い髪の女の子』 とか書いたりするのは視覚障害者の方とかへの配慮を欠きまくっているとは言えないのか。

 ま、 これは極端な例としてもですね。



 ヒツジの群が柵から逃げ出して困るからと言って、 『ここから出るな』 と書かれた立て札を理解させるために、 何百万ものヒツジに一匹一匹むりやり言葉を教え込もうとするよりは、 その柵の構造や在り方を見直す方向に頭を向けたほうが利口なんじゃないの? と。 個人的なレベルでどうこうなるものでもないかもしれませんけど。

 とりあえず、 現時点でいったい誰のためになるのかもわからないような仕様を厳守してスタイルシートを振り分けたり細部まで論理構造に気を配ったHTMLを書く余裕があるぐらいなら、 その分のバイト数を使って日本語のギャグのひとつも入れたほうが楽しんでくれる人は多いので。
 それがネット上での私の明確なレゾン・デートルですから。




 さて、 気分をあらためまして本題に。

   これまでは 「フォントいじり」 というものについて触れてきたので、 次は 「テキストサイト」 という部分について語ってみましょう。

 作家の清水義範氏が、 こんな感じのことを書いています。

「日本のエッセイというものは、 すべて一言で要約できる。

 男性作家の場合は 『俺は偉い』、 女性作家の場合は 『私ってセンスいいでしょ』 である。

 これは徒然草と枕草子の時代から全く変わらない」



 けだし名言、 というヤツだと思いますが、 これはちょうどネット上のテキストサイトにも当てはまります。
 わけ知り顔で一段高いところからユーモアや皮肉を交えて世の中のさまざまなことを語ってみせる吉田兼好や、 自分の好きなものや知識を書き散らすことで己をアピールする清少納言は、 ある意味、 人の自然な姿なんですね。

 名もない一個人がインターネットで自分の随想を公開できるようになり、 無数に乱立したそれらのサイトを巡って、 肯定・否定、 批評や愛憎といった様々な思惑が渦巻いているのが現状と言うわけです。

 これまでは、 素人は素人として、 決してプロには及ばぬ水面下で活動しているものだったわけですが、 今や大手と呼ばれるテキスト系サイトの影響力たるや下手なマイナー雑誌など軽く凌駕し、 ひとつの新たなマスメディアの形態として無視できないものとなっています。 私も、 自分のサイトを見に来る人が1回ごとに10円払ってくれたら、 サイトの更新だけしてあとは遊んで暮らせるのになぁ、 とか考えたりしますが、 これは本気ですので皆さんよろしく。


 いつものように話がそれましたが、 いつものように唐突に元に戻しまして、 今回はその 『テキスト系』 と呼ばれるサイト群を私なりに分類してみました。
 なお、 集客性・中毒性という項目を9段階気味に評価していますが、 これはあくまで 「そういう形になりやすい」 という一つの傾向であり、 最終的にはコンテンツの内容によって左右されるものであるということをご理解ください。



解説集客性中毒性
テキスト(一般)純日記系本当に、 寝たり食べたり遊んだりといったことをそのまま書きつづります。
本来の意味の日記ですね。
C-C-
お仕事・趣味系自分のお仕事の内容や業界話、あるいは趣味のことにまつわるエピソードなどを普通に書きます。純日記から一歩進んで、読者を意識し始めるようになった形態と言えましょう。変にウケを取ろうとせずにこのへんで止めときゃ良かったのに、と自他ともに思うことがよくあります。
ネタ系“読んだ人を楽しませる” という、 芸人的スタンスで書かれた日記です。 コント系・痛い系・ヨゴレ系といったサブカテゴリに別れます。

ネット時代の日記系サイトによく見られる特徴で、 他人とワンクッションを置いた関係しか築けない現代人ならではかと思ってみたりしましたが、 考えてみれば徒然草にも、 『仁和寺にある法師』 とか、 この手のネタ話はけっこうあるか。 やるなぁ吉田。
テキスト(男)モテ系おモテになる男性が、 自分のナンパ体験とかを語ったりします。 男としちゃあ、 ちょっと反感をおぼえつつもついつい読んでしまうものなんですね。 B-
非モテ系逆にモテない男を自称する人が、 下ネタまじりで自分のモテなさっぷりや、 女人への妄想を書きつづるタイプのテキスト。 毎年2月上旬と12月下旬には活動が活発になります。
実は非モテと言いつつ彼女ができちゃったりする人も多いですが、 まあキッカケさえあればそんなにダメな人というのも滅多にいないもので。
B+
テキスト(女)純日記系ムカつく人や、 ムカつく出来事や、 ムカつく物などについて書かれています。
女性には右脳と左脳の間に “ムカつく脳” という部分があり、 どんなに温厚で心優しいレディでも必ず24時間何かに対してムカついているのです。 ただ、 だからと言って他人に八つ当たりしたり状況を変えようと努力したりといった行動に出ることは少なく、 仏の悟りのごとく安らかで無為自然にムカついているのが男性と異なるところです。

あとは好きなものとか映画・小説・音楽などの話が多いかな。 枕草子。
A-B-
恋バナ系読んで字のごとく、 恋愛話です。 これも多いかな。
モテ系・非モテ系の男性がリビドーで恋愛を語るのに対して女性はシチュエーションで語ることが多いと言うか、 客観的に見ているというか、 そんな感じがします。

‥‥こういうこと言うと必ず 「男に何がわかるの?」 みたいな反応を返されるけど。 ごめんなさい、 許してください。
あ、言い忘れてましたがここで言う “女性系” とは、トップや自己紹介などで自分が女であることを大きくアピールしているようなサイトのことだと思ってください。 それ以外は一般やその他のどこかに分類されるかと。
A-B+
エロ語り系下ネタが好きな女性というのもけっこういるものですが、 ネット上でそれをやるとウンカのごとく男どもが寄って来て愉快な体験ができます。 ついでに同性からの支持も得られたりしますが。

この表をよく見ればわかる通り、 執筆者が女性になったというだけでこれだけパラメータが上昇するあたりが、 ネットの現状を示していると言えます。
A+A-
その他ファンページ系(男性オタク)ぶっちゃけて言えば、 アニメや漫画やゲームについて語っているサイトです。

一般的な集客力という点では劣りますが、 根強い支持が得られやすいジャンルでもあります。 まぁ、 変に客の目を意識するより、 自分の好きなことを書いているほうが楽しいですしね。
C+B+
ファンページ系(同人女性)上の女性版かと言うと少し違い、 なかなか面白い日記を書いている人もたくさんいるのですが、 彼女たちはカップリング観の違いによる血の抗争オタク女迫害の歴史を背負っており、 マフィアのごとく自他の縄張りを守るため、 テキスト系の表舞台に出てくることはごくまれです。

面白いのになぁ。
A-
ファンページ系(一般)映画とかスポーツとか芸能とかのファンページです。
これらをひっくるめてテキスト系と呼んでしまっていいものかは微妙ですが、 ネタ日記的なテキストを展開しているところも多いです。

集客性や中毒性は、 ジャンルによって大きく変わったりするので、 ここでは評価不能としておきます。
そろそろ面倒くさくなってきたわけじゃないです。 本当です。
創作系詩や短編小説やショートショートを中心に更新しているサイトです。 哲学・文学的思索テキストなんかもここに含めていいかもしれません。
人を集めるとっかかりを作るのがなかなか難しいですが、 クオリティ次第では大ヒットを飛ばす可能性もあります。
C-B+
更新しない系日々の更新に飽きてしまい、 ときおり思い出したかのようにトップページに短文を載せるだけになります。

大手がやると許されますが、 出来てからそんなに経っていないサイトがこれになってしまうとただのダメサイトですので注意が必要です。
C-C-




 ‥‥まあ、 分類したからなんやねんっちゅう話ですけどね。


 思わず自分自身で言ってはならない禁句を口走ってしまいましたが、 そもそもココってどういう客層が見てるんだろうなぁ。
 一抹の不安がよぎりますが、 次回は 「テキストサイトを作ってみよう! 実戦編」 というのをやりたいと思います。



 期待はいらないので金を乞いたい。